長いようで短かった妊娠期間を終え、無事に出産を終えた。産後1ヶ月は毎日白目を剥きながら無呼吸で生活するような、てんやわんやの日々だったが、やっとリズムが掴めたので、久しぶりに文章をしたためたいと思う。
妊娠中のことや、出産後ことについてはまた機会を見つけて手記にしたいと思うが、今、文章を綴ろうと思ったきっかけは、宇多田ヒカルさん出演のCM、サントリー天然水「水の山行ってきた 南アルプス編」だ。
このCMの楽曲は、作詞作曲 宇多田ヒカル「道」という楽曲であり、アルバム「fantome」からの1曲目の楽曲である。このアルバム「fantome」は母である藤圭子の死によって生まれたものであることは有名と思うが、まさに、アルバム楽曲全体から漂う生と死の気配、母の気配が顕著である。また、wikipediaをのぞいたところ、宇多田ヒカル本人がこの「道」という楽曲を「アルバムのメインテーマを担う曲」と位置付けていると書かれている。
私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった
It’s a lonely road
But I’m not alone
そんな気分(中略)
どんなことをして誰といても
宇多田ヒカル「道」
この身はあなたと共にある
一人で歩まねばならぬ道でも
あなたの声が聞こえる
It’s a lonely road
You are every song
これは事実
これは歌詞の引用ですが、”一人で歩いたつもりの道でも、始まりはあなただった”、これは生物として自分の始まりは母であるのは当然だが、歌手として生きていく「道」も、起源は母の歌手としての歌やキャリアであり、もしかしたら母の子守歌が、人生の中の初めての歌だったということを示しているのかもしれない。人としても、歌手としても”一人で歩まねばならぬ道”であり、それは”It’s a lonely road. But I’m not alone”なのだ。これの表現に身が震える思いがした。
これは”lonely”と”alone”の違いを理解するのにもいい文章と思うのだが、lonelyは「孤独」であり、そこに「淋しい」のニュアンスがある。それに対して、”alone”も「孤独」の意味であるが、そこには一人ぼっちで周りと隔離されているようなニュアンスが加わってくるように感じる。(高校の時に英語で習ったのを思い出したので本当かどうかは知りません)。
そう、生きていくのは孤独で辛いことだけれど、決して一人では無い、何故なら母は常に私の側にあったのだからと感じられた。
私自身、実家との折り合いが悪く(実家というか母)、家族というものに呪いのようなものを感じていた。結婚が遅かったのも、単純に仕事第一・社畜だったから、圧倒的にモテなかったといのが大部分だが、幸せな家庭というものが想像できなかったからというものも少しはある(言い訳)。しかし、今回の妊娠・出産にあたり、母と話す機会、過ごす時間を通じて、また、自分自身が母になって、確かに母は私を愛してくれていたのだとやっと理解できるようになった。勿論、愛してくれていたから愛さなければいけないとは思わない。しかし、少し呪いが解けたような心持ちがしたのでありました。
宇多田ヒカルさんの楽曲について、まだまだ考察したいのですが、長くなったのでまた後日といたします。
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